2006年 04月 03日
パリ20区メトロ3号線ポルトドバニョレを 降りる。駅前の広場に絶唱するエディット・ ピアフの像に圧倒される。「愛の讃歌」を はじめ、20世紀を代表するシャンソンの 大御所の像が無造作にここにある。 像の後ろにはエディット・ピアフの名を冠し たバーがあり、地元の人々を中心に今でも、 ライヴなどが行われているようだ。 しかし、このポルトドバニョレという場所、 パリ市内の東の端に位置するため、よほど のことがない限り、一般の人は訪れること はないのではなかろうか。 僕は取材のために此処を訪れたのだが、 なかなか味わい深い街である。 今日もまずはクリックお願いいたします。 ポルトドバニョレ駅からエディット・ピアフ広場を 南西に100メートル程で、オクターヴ・シャヌート 広場(place Octave Chanute)に出る。そこから ポール・ストラウス通り(rue Paul Strauss)の方 を見ると小高い丘のような住宅街が見えてくる。 このような2階建ての一軒家を見てもパリの街 一般について知識がない人は何が珍しいのか、 ピンとこないのではなかろうか。 ほとんどが5〜7階建ての建物で構成されている パリ市内では2〜3階建ての一軒家がとても珍しい 建造物ということになる。ましてやこのような住宅街 というのは日本では全く紹介されないがパリでは 貴重な文化遺産のような区域なのだ。 とりわけ、この地域になぜこのような建物の一群 が形成されるようになったかの歴史を知ればこの 区画の意義が理解できるのではなかろうか。 19世紀後半、ナポレオン3世の統治下セーヌ県知事オスマン男爵による パリ大改造計画が実施された。細い道が複雑に交差する城下町構造だったパリを 近代的な都市とするための都市整備が行われた。そのため古い建物の多くが壊され 広い道が建設されていった。ここに一階が店舗で二階より上は住居とするパリの基本 的なスタイルが確立されていった。しかし、かかる近代的なスタイルを善しとする人 ばかりではないのがパリ。古い建物を解体した膨大ば瓦礫をかつての石膏石切り場 に積み上げて住宅街を形成した。それが、御覧の写真の区域である。19世紀後半から 20世紀の初頭にかけて建設されたこれらの住宅街は " La Compagne a Paris " 「パリの田舎町」として貴重な一画となっている。 パリ市内にありながら2階建ての一軒家にして、庭付きの生活はある種パリジャンの 憧れのライフスタイル。 今日の話題、わかりにくかったかも知れませんがパリ通は必ずクリックお願いいたします。 ご感想・撮影依頼はこちらまで
by paris-tsuzuki
| 2006-04-03 09:25
| 散歩道
|
アバウト
パリ在住カメラマン都筑清 TSUZUKI Kiyoshi のファッション・グルメ・ライフスタイル情報ブログ 横浜生れ 早稲田大学法学部卒 フランスパリ写真コンクール準グランプリ受賞 '05年活動拠点を東京からパリに移す by paris-tsuzuki カレンダー
カテゴリ
全体
パリのカフェ、フード パリのマルシェ パリ・コレ パリのライフスタイル エッフェル塔 自炊 プロフィール パリの花 エッセイ 街角 恋人 子供達 美術館 散歩道 メトロ ファッション パリジャン Q&A ジャーナリズム クルマ パリの楽園 パリの犬 パリへの扉 パリの年中行事 パリの商店街 未分類 全ての写真の著作権は、都筑清に
あります。写真および文章の使用、引用は必ずお問い合わせ下さい。 とてもオープンに対応しております のでお気軽にお問い合わせ下さい。 メールBOX 撮影依頼・ご感想はこちらまで 都筑 清(旧)公式ホームページ 旧作品フォトギャラリーはこちら 比較文化論エッセイ『スペースアルク都筑清のパリ暮らしエッセイ』はコチラまで 楽しんで頂けましたら こちらに一票をお願いいたします。 以前の記事
2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||