「パリ Paris」 カメラマン都筑 清の写真ブログ

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カテゴリ:エッセイ( 67 )


2005年 09月 17日

幸運の系譜 vol.2 四葉のクローバー

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マロニエの落ち葉が秋の訪れを
伝える。

パリ郊外のサンジェルマン・
アンレーの公園。

パリからRER(電車)で約20分
で広大な地平線がひろがる。

仕事の撮影で来たのだが、その
広さに圧倒される。

濡れたマロニエの落ち葉を踏み
しめ、歩き出す。

新しい季節への第一歩。




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マロニエは日本で言えば栗の木。
しかし、食べられる栗とは、少し
別の種類。

四葉のクローバーをみつけた。
正確には、番組取材で同行した
レポーターさんが見つけた。
「人が歩くようなところに四葉
のクローバーは生えるんです」
と言う。理由をたずねてみた。
突然変異の四葉は人に踏まれる
ことによって出来るとのこと。

踏まれることで変化し、四葉の
クローバーとして生まれ変わる。
それが、幸運の秘訣。

「幸運の系譜」それは、この写真
と文章を見た人が、次々と幸運に
なるということ。

誰だって踏まれる。
それは、結構良いチャンス。

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by paris-tsuzuki | 2005-09-17 08:56 | エッセイ
2005年 09月 15日

下をむいて歩こう

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たまには視点を変えて見る。

これは、こういうものだ、と
いう固定概念を意識的に外す。

すると、世の中はいつもとは
違って見えることがある。

足元でけなげに咲いている、
だけど、地味な花。

最初は職業的写真家の視点で
「この色は地味だな」と判断
してしまう。

しかし、視点を変えてみると、
結構カワイく見えてくる。

天使の銅像の下に咲く花。

実は、こましゃくれた性格かも
なんて、思う。



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by paris-tsuzuki | 2005-09-15 06:39 | エッセイ
2005年 09月 09日

幸運の系譜

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夕暮れの海 
愛娘を高々と差し上げる父親

僕は夢中でシャッターをきる

今日も素敵なシーンにあえた
ことに感謝しながら、

写真は幸運の産物だと思う時
がある。それが、たとえ用意
周到に準備した仕事の撮影で
あったとしても、その瞬間は
二度と訪れない。だからこそ
失敗は許されないのだと考え
るのではなく、だからこそ、
その瞬間を、素直に受け入れ
積極的に生きるべきではない
かと僕は思う。究極において
人生は瞬間。そして、幸せな
瞬間をどれだけ持てるかが、
人生を豊かにするのではない
だろうか。


こんな、幸運な瞬間があったんだよ、ということを僕は毎日、読んでくれている
皆に、伝えたい。その幸運は、きっと伝わると思うから。

伝えること。それが、僕からの幸運の系譜。

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by paris-tsuzuki | 2005-09-09 06:56 | エッセイ
2005年 09月 06日

Lille et Mer リール、そして海へ(後編)

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<海へ>
リールから車で1時間半。英仏海峡をのぞむブローニュの海岸に着いた。
広い砂浜のむこうに海がひろがっている。日没に間に合った。


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砂浜に腰をおろし夕陽をながめる。ヴァカンスが終わり、人影のまばらな砂浜。
今年の夏は海を見ていなかったことに気づいた。海を見ていると自然と心が
静かな気持ちになってくる。やわらかな、潮風が心地よく吹いている。

ふと、前から気になっていた質問をアルベールにしてみる。
日本には、「忙しいのはいいことだ」という言葉があるのだけれど、フランス
では、そういうことを言うのかな?彼は、「なんだ、それは」というけげんな
表情でこたえる。忙しいのはストレスになるからよくない。でも、フランスには
「少し仕事もあるから、落ち着いてられる」という言葉はある、とのことだ。
日本には「働かざるもの、食うべからず」という言葉もあると続けると、
フランスには「働かないものは、飲んではいけない」という言葉はあると彼は
答えた。長いヴァカンスの間、何も進まないフランスにイライラしていた僕は
海を見ながら、考えてみた。文化、国民性、経済構造とともに、国としての
雰囲気に関わることかも知れないと、思った。たとえば、僕は日本にいる時、
忙しくて3ヶ月も休みがないとか、今週は平均睡眠時間が3時間以下だと、業界
の人間のご多分にもれず、自慢気に話していたように思う。つまり、忙しいのは
いい事だから。そのお金で機材、パソコン、クルマを買い、高い店に食事に行き、
あげくの果てには、バーゲンで狂ったように洋服を買いまくったりしていた。
結局、その原因はストレスだったのかも知れない。逆に、フランス人は働かなさ
過ぎるとも言えるが、僕はバランス、調和を重んじていると考える。少し仕事が
あるから、落ち着いていられる。働かない人は食べてもいいけど、飲んではいけ
ない、という考えはバランスがとれているのがベストだと、考えているのではない
だろうか?


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日が暮れて、僕らはパリへの
家路に着いた。

この砂浜に連れてきてくれた友情に
感謝します。とても素敵な時間を
過ごすことができた。

Lille et Mer 後編終了
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そして、このエッセイを読んだ人が
しばらくの間、パリからの小旅行を
楽しんでいただければ、幸いです。


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by paris-tsuzuki | 2005-09-06 23:16 | エッセイ
2005年 09月 06日

Lille et Mer リール、そして海へ(前編)

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<リールへ>
9月最初の週末、リールでフランス最大のノミの市が開催される。友人のアルベールが
運転する車で僕らはパリを出発した。

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A1高速道路のサービスエリア
日本でもS.A.好きの僕は期待
して中へ、しかし売っている
のは、飲み物にサンドイッチ
ぐらい。唯一チョコレートの
種類が多いのが、フランス的
といったところ。
自販機のコーヒーは、どこに
行っても旨いと思ってしまう。

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パリから車で30分も走ればカンパーニュの風景が広がる。
2時間後、パリの北西約200キロに位置する、リールに到着。
フランス中から100万人もの人がこのノミの市に集まる。

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ともかく、人が多い。まずは、
ざっと、見ようと歩き出す。
アンティークから日用品、
食器に衣類、アフリカ民芸品
まで、道の両側にところ狭し
と並べられる品々。キリが
ないのでお昼を食べようと
いうことになった。

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リール名物ムール貝とポテトフライ
タマネギ、セロリを白ワインで蒸し
ただけのワイルドな料理。フランス
産のムールは小粒だが、今日のは、
かなり大きい。ムール好きの僕は
無言で食べまくる。
Jupilerという地ビールもさっぱり
していて旨い。

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道にはご覧のような貝殻の山。
ところで、どうしてムール貝がリールの名物なのか
聞いてみた。考えてみたらリールは海に面している
わけではない。ところが、誰に聞いてもわからない。
「伝統だよ」という答えが帰ってくるばかり。では、
このムールはどこで穫れたものかと、聞いてみても
「海だ」という人をバカにした答えが。あまり、皆
知らないらしい。まあ、おいしかったし、大満足。
延々と続く、ノミの市の探検に出かけた。

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フランスの骨董品に対する情熱はすさまじいものが
ある。毎週のように各地でノミの市が開かれ、テレビ
では特別番組まで放映されている。もちろん、年代物
の家具や食器など、僕らがイメージする、いわゆる
骨董品も売られている。しかし、全体として見てみる
と、意味不明のものや、明らかなゴミ。果ては普通に
スーパーで売っているジャムの空き瓶まで売っていた
りする。何かいいものがあったら、という気持ちで
来ただけに頭が混乱してくる。しかも、道のメイン
ストリートだけでなく、街の裏通りにまで露天が
出ている。いつまで続くのかすら、わからない。
すごい広さだ。例えて言うなら、世田谷のノミの市
に行ったら、世田谷区全体がノミの市だった、という
感じの広さなのだ。


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売っているものだけでなく、ずいぶんユニークな人にも
会うことが出来る。
よく解らない漢字を背中に彫り込んでしまっているお姉さんや、



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マイケル・ムーア監督に会うことも出来る。


結局、僕は3ユーロでビールマグを買ったのみ。

気がつけば、駐車場まで、地下鉄の駅にして3駅
も離れたところにいた。

このまま、パリに戻っても行楽渋滞にはまる時間帯。
それならば、いっそ海を見に行こうということに。

再び高速道路にのり、夕陽を見に海へと、むかった。

Lille et Mer 前編 終了。

後編へ、続く。

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by paris-tsuzuki | 2005-09-06 20:22 | エッセイ
2005年 08月 26日

勝手にしやがれ 番外編 2004夏

勝手にしやがれ 番外編

Paris est Paris 〜パリはパリさ〜

このエッセイはモータマガジン社刊 「月刊カメラマン」2004年
10、11月号に連載されたものに加筆、修正を加えたものです。


頭痛

「パリまでの航空券を一枚。今からイチバン早く出発できて、イチバン安いのをお願
いします」旅行会社のカウンターに身を乗り出すようにして僕は言った。
 2004年7月、東京は記録的な猛暑に襲われていた。3ヶ月以上、一日も休みを
とれる日がなかった。撮影のない日はデジタルの処理。いつの間にか、頭の芯にいつ
も鈍い痛みを感じるようになっていた。撮影日程の変更が2件続いた。ポッカリと空
いた2週間。「パリに行くしかない。陽の長い、7月のパリに」

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 翌日出発の航空券をキャッシュで払った2時間後には撮影依頼の電話が3件。携
帯電話を握って頭を下げる。フリーランスのカメラマンにとって仕事を断るのは
ツラいが、「人生は楽しむためにある」。パリの友人達にメールと国際電話。アシス
タントに空港から指示を出す。手荷物検査はいつものようにフルオープン。いい機会だ、今回の装備を紹介しよう。コンタックスNデジタルに50mmと17〜35mm。コンタックスRTS3、アリアD、21mm、28mm、35mm、50mm、60mmマクロ、85mm、180mm。 ソニーF828。マッキントッシュG4ノート17インチに外付けハードディスク。替えの下着と靴下は各1枚。呆れ顔の警備員の目をよそに、歩くヨドバシカメラのような品揃えをバックパックに再び詰め込む。香港経由のキャセイパシフィックは、パリまで19時間。睡眠不足の解消にはうってつけ。僕は缶ビールをひと息で飲み干し、意識を失った。


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黒い大地が見えてきた。フランスだ。空港からのバスはストで止まっている。僕はアメリカ人女性と乗り合いで、タクシーでパリ市内へと入った。エッフェル塔の足元を通り抜け、ラモットピケに到着。日曜の朝9時。友人を電話で起こすのは気が引けた。駅前のカフェに入り、朝食のセットを注文する。小さなフランスパンに、バターとアプリコットジャム。そして、カフェオレ。口の中に素朴な甘さとサクサクとしたパンの食感が広がる。ギャルソンが窓を拭く様子を眺めながら、思った。「パリに帰ってきたんだ」ひんやりとするぐらいの乾いた風が吹き抜ける。いつしか、頭の芯にあった鈍い痛みはなくなっていた。

マレ地区

 翌日、僕はパリ在住20年のベテランの写真家H氏と会うためにマレ地区にいた。
マレ地区は、美術館やファッション関係者の多い地区。東京で言えば原宿から表参道、
青山といった場所だ。「昼メシでも食いに行こうや」そうH氏は言うと、僕を近く
のカフェに連れて行ってくれた。分厚いステーキに赤ワイン。フランス流の重厚なデ
ジュネ(昼食)を楽しみながら、日本の写真界の話、カメラやレンズ、デジタルカメラといった話をしていた。その時、隣の席に座っていた30代くらいの男性が話しかけてきた。
ライターの火を貸してくれないか、という他愛のないきっかけから話が広がった。そ
の男性、シルヴァン氏は、マレ地区のモデルエージェンシーで働いており、東京に
も行ったことあるという。「フォトグラファーか。ウチの事務所に遊びに来ないか」
と声をかけられ、僕はパリのモデル事務所をのぞいてみたくなった。


エージェンシー

 その日の夕方、僕はシルヴァン氏の勤める「Vモデルマネージメント」を訪れた。オフィスの壁一面には、ヴォーグの表紙を飾るようなモデルの写真が何十枚と貼られている。本格的なファッションモデルのエージェンシーのようだ。僕は17インチのマッキントッシュを広げ、「これが僕のブックです」とシルヴァン氏に作品を見てもらった。音楽とともに次々と画像の変わる僕のスライドショーを見たシルヴァン氏は「お前は面白いフォトグラファーだな」と言い、ベテランの女性マネージャー、マダム ラベルを連れてくる。彼女は腕組みをしたまま僕の作品を見ると、こう切り出した。「あなたは、ウチのモデルを使ってテストシューティングをしてみたい?」「ウィ、ビアンシュール(はい、やりたいです)」「そう、じゃあ明日のお昼過ぎに来て。モデルに会わせるわ」「あの、撮るのにモデルのお金を払わなければならないのですか?」「あなたが撮った作品を提供すればタダよ」「オーケー、明日午後1時に来ます」パリで本格的なファッションモデルの撮影ができるかもしれない。パリはカフェでもチャンスが転がっている。期待に胸を膨らませ、僕はエージェンシーを後にした。


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孤立無援

目の前には3人のヨーロッパ人モデルがいた。身長は180cmぐらいはある。16歳から18歳ぐらいだろうか、ノーメイクの彼女達は、まだあどけない少女といった印象だ。
パリのモデルは東ヨーロッパ出身の者が多い。フランス人がエキゾチシズムを好むからだ。コミュニケーションは英語。僕は強い印象のセクシーな女性が撮りたい、と伝える。ジュスティナという黒髪のモデルが特に僕の作品を気に入ってくれたようだ。
スケジュールの調整をマネージャーのマダム ラベルとすることになった。「どの娘が撮りたいのかしら」「ジュスティナが僕のイメージにあうな。でも、3人まとめてもできますよ。東京ではもっとたくさんのモデルを一度に撮ってますから。ところで、ヘアメイクやスタイリング、それからスタジオはどこが使えるのかな」
マダム ラベルの表情が険しくなる。「ムッシュ ツヅキ、パリではね、ヘアメイクもスタイリングも全てフォトグラファーがコーディネイトするの。私達エージェントはモデルを手配するだけなの。あとは全部フォトグラファーがするの。それがパリのやりかたなの。あなたにコーディネイトができるのかしら?それからね、パリのスタジオは高いわよ。」「・・・・んー、あー、・・・」僕は言葉が出なかった。ここは日本ではない。なじみのヘアメイクのコージローさんもいなければ、トニーアンドガイのスタッフもいない。スタジオの手配をしてくれる雑誌社の編集者もいなければ、アシスタントすらいない。僕は通りすがりの外国人にすぎないのだ。「あー、ちょっと考えて、えー、みます」「あら、そう。あなたはいつまでパリに滞在しているのかしら」時間もなければ、コネもない。孤立無援の状態だった。「あー、明日、またー、電話します」「明日はキャトルズジュリエ、国民の祝日でお休みなの。明後日に電話してね」僕はなす術もなく、シッポを巻いて退散した。

 自分ひとりでは何もできない。あらためて東京にいた時の周囲の人のありがたさを感じた。あきらめるしかないのか。絶望を胸にパリの街をさまよい歩く。いつしかたどりついたのはチュイルリー公園だった。そこで僕は「あの男」に再会した。数年前、初めてパリに行ったとき、この公園で出会った頭に手をやるポーズの「悩む男」の彫像だ。彼は数年前と同じポーズでまだ悩み続けていた。コイツ、まだ悩んでいやがる。僕は当時と同じ構図を探してデジタルカメラのシャッターをきった。自然と笑いがこみあげてくる。悩んでいてもはじまらない。コイツは昔のまんまだが、僕はちょっとは成長している。何か打つ手はあるはずだ。考えてみたら朝から何も食べていなかった。肉を喰おう。近くのカフェにはいり、威勢よくステーキを注文する。ここは肉食の国だ。自分の獲物は自分でとる。それができなければ、くたばるだけだ。
考えろ。何か打つ手はあるはずだ。血のしたたる肉のかたまりを噛みしめながら、僕は考え続けていた。


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勝手にしやがれ

「やってみるしかないか」勢いをつけてベッドから起きあがる。ひとつの無謀とも思えるアイデアを思いついていた。東京ではトニーアンドガイというロンドンに本拠を持つ世界的なヘアサロンの撮影の仕事をしていた。ロンドンのヘアスタイルブックには日本人のフォトグラファーとしては最多の作品数も掲載されている。この実績をいかせば何とかなるかも知れない。インターネットで調べてみるとトニーアンドガイはパリに4つのサロンを持っていることがわかった。電話をしてもラチがあかないだろう。飛び込みでサロンに行き直談判してみるしかない。4つのサロンで全て断られたら、金を払えばいい。100ユーロ(約13,000円)も払えばスタイリングはしてくれるはず。ただ、トニーアンドガイは高級なヘアサロン。いきなり行っても忙しくて相手にしてくれないかも知れないし、赤っ恥じをかくだけかも知れない。でも、ここでじっとしていても何も始まらない。やはり、行くしかない。あとは勝手にしやがれだ!

まずは一軒目、マレ地区から最も近いティクトンヌ通りのサロンへと向かった。
「ボンジュール(こんにちはー)、トニーアンドガイ ジャポンのフォトグラファーでツヅキといいます。あのー、パリに来たので、ちょっと寄ってみようかな、とか
思いまして・・・」あやしげなフランス語で声をかけながら店内に入る。「それでー、
ですネー、あー、ジャポンで僕が撮った作品とかをですね、見ていただけないかー、
とか思いまして、ですね」サロンの責任者が見てくれるという。すかさずマッキントッシュの17インチを広げる。ここまでいけば、あとは作品がウケるかどうかの勝負だ。
「みんな、ジャポンのフォトグラファーの作品だって、見にこいよ」その声にスタッフが集まってくる。全員が食い入るような視線で僕のスライドショーの作品を見ている。「セボン?(どうっすか?)」「クール(カッコいいじゃん)」ウケた、と踏んで僕は一気にまくしたてる。「それでですよ、マレ地区のモデルエージェンシーがタダでファッションモデルを貸してくれるので、ヘアメイクをやってくれませんか?そのかわり、そちらの作品も撮ります。写真はデジタルのCDRで渡します。どうでしょう?」
「オッケー、そいつはいい。やろうゼ」バッと、握手を求めてくる。ハヤい。即決。あっけない程、うまくいった。

意気揚々とその足でモデルエージェンシーへ向かう。開口一番、マダム ラベルに言った。「アイ キャン コーディネイト(手配はできました)。トニーアンドガイ パリがヘアメイクを担当します」マダムは少し驚いたような表情をみせる。「オーケー、よく出来たわネ」さも何でもない、という表情で僕は肩をすくめてみせた。
撮影日程は次の日曜日に決まった。

以下、次号へと続く。

<前号のあらすじ>
2004年7月 陽の長い季節のパリに行くべく僕は急遽、猛暑の日本を脱出。モデ
ルエージェンシーの人とカフェで知り合い、パリでモデル撮影をすることになる。
ところがパリではヘアメイクをはじめ、誰も知り合いのいない孤立無援の状態。そこで、トニーアンドガイ パリというヘアサロンに飛び込みで行き、協力をお願いする。交渉に成功し、僕はパリでファッションモデルを撮影する手はずとなった。


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ディナールへ

2004年7月16日金曜 8:30am 僕はプラスディタリーにいた。パリ在住の
親友でカメラマンの神戸シュンさんがディナールで写真展を開く。そのレセプションに出席するため、パリから一泊の小旅行に行くことになった。旅行のメンバーは神戸シュンとその妻アドリアナ、ひとり息子のユリオ、友人のカメラマン、フランソワとアルベール、そして僕の6人。ディナールはパリから約400km離れたフランス北西部の大西洋岸に位置する港町。。僕らは2台の車に分乗してパリを出た。途中、高速道路のパーキングで昼食。神戸さんの妻アドリアナ手製のサンドウィッチだ。パリから車で1時間ほどしか離れていないのに、周囲はもう田園風景。僕がすかさずデジタルカメラで撮っていると、神戸さんが声をかける。「こんな風景、珍しいですか?」「地平線ですよ。東京じゃあ、まず見られませんよ。僕にとっては、珍しい風景です」
 自動車レースで有名なル・マンを過ぎ、やがてディナールへ。海が見えてきた。空
にはカモメが舞っている。黒いスレートぶきの屋根にレンガ造りの建物。ここディナー
ルは、海岸沿いに別荘の建ち並ぶ、旧くからの高級保養地。海のある軽井沢といった
ところか。地元の観光協会のホールで神戸さんの写真展は行われた。作品を見るために、わざわざパリからバスに乗って来る人たちもいる程の大盛況。神戸さんも神妙な面持ちでスピーチをしていた。
 レセプションが終わり、皆で海岸に出る。海からの風が心地よい。海辺のレストラ
ンで食事の後、ホテルに子供を寝かせた神戸さんと、僕はカフェで一杯やることにし
た。僕がパリでの顛末を話すと、神戸さんは赤ワインのグラスを回すようにしながら
言った。「へえー、モデルクラブの人とカフェで知り合って、シューティングですか。
いかにもパリらしいですね。ツヅキさん、さすがに日本からストロボまでは持ってきてないでしょう。貸しますよ。」友人の申し出にありがたく拝借させてもらうことにした。
 翌日、ピクニックを楽しんだ後、僕らはパリを目指した。明日はいよいよシューティ
ング。万全の準備とは言えないが、撮影自体はお手のもの。あとは勝手にしやがれだ。僕はルノーのハンドルを握りしめ、パリへ向けてアクセルを踏み込んだ。

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ジュスティナ


約束の日曜がきた。シューティングの日だ。僕はコンタックスのNデジタル、RTSⅢ AriaDのボディにレンズ各種とマッキントッシュの17インチをバックパックにつめる。そして、神戸さんから借りたストロボ3灯の入った大きなスーツケースにスタンドバッグ。さらにマルシェ(市場)で買ったバラの花束を引っさげていた。持って歩けない程ではないが、さながら夜逃げを画策する求婚者のようないでだちに、タクシーに乗ることにした。トニーアンドガイ パリに着き、まずはヘアスタイリストのブノワ氏とエマニュエルと打ち合わせ、イメージを伝える。さらにモデルのジュスティナに撮影の流れを話す。拙いフランス語に英語が混ざる。本当に通じているのだろうか。その不安は次第に解消されていく。あどけない少女のようなジュスティナが、ヘアスタイルとメイクによってセクシーな大人の女性へと変身していく。どうだい、という顔でブノワ氏が僕を見る。「オーケー、ブラボ(スゲエよ)」ヘアスタイリストもカメラマンも、お互い職人同士。多少、言葉が通じなくてもイメージは伝えられたようだ。外が雨のため、撮影はサロン内をスタジオにして撮ることにした。マッキントッシュでカラーと露出をチェックしながら撮影を進める。トニーアンドガイの用意したモデルも撮るので計7名。汗をダラダラ流しながらライティングをチェンジしていく。限られた場所、限られた機材、限られた時間。その制限の中で、自分の技術と情熱をどこまで表現できるか。ジュスティナの撮影を終え、画像をマッキントッシュでチェックする。「スゴイわ。あなたの撮った写真はどれもこれもいい。選べないくらいよ。こんなのは初めて」ジュスティナが驚きの声で言う。モデルに喜んでもらえる。カメラマンとして至福の瞬間。「ありがとう。君がすばらしいからだよ」額の汗を拭い、ジュスティナと握手をする。写真というコミュニケーションに感謝しながら。
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パリの日常


撮影した画像はCDRで納品することになっていた。そこで、僕はCDRを買うためにFNAC
(フナック)へと向かった。フナックは日本でいえば、ヨドバシカメラのような家電
量販店。パリ市内にあるため、外観は日本のようなケバケバしいネオンの看板はない。また日本の家電量販店だと、店内に入ると思考力を奪うような音楽が流れていることが多いが、パリのFNACでは特に音楽は流れていない。キャノン、ニコン、ソニー、エプソンといった日本のメーカーのデジタルカメラ、パソコン、プリンターが売られている。しかし、モデル名が微妙に違っていたり、品揃えも日本の方が多いように
感じた。また、値段も日本と比べて2、3割は高いといった印象。フランスではデジタルカメラやパソコンに高価品としての税金がかかるそうだ。
 CDRを買って部屋に戻る。パリでは友人カメラマンY氏の部屋に滞在
していた。Y氏は、ちょうどボルドーに撮影に行っていたため、彼の部屋で僕は
パリでの一人暮らしとなった。マルシェ(市場)で買ってきた鳥肉のローストとリゾットを食べながら、画像をCDRに焼いていく。
 出来上がったCDRを持ち、早速、モデルエージェンシーへ。オフィスにはモデルのジュスティナも来ていた。マネージャーのマダム・ラベルとジュスティナ
は食い入るようにマッキントッシュの画面を見つめている。画像を見終わったマダム・ラベルが一言。「トレ・ボン(すばらしいわ)」
 その後、トニーアンドガイ パリでも作品を見せる。出来映えに満足した彼等から2日後の夜に行われるファッション・ショーも撮って欲しいと頼まれた。



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ラスト・シューティング


7月22日7:00pm。この季節のパリでは、まだ明るい時間。日が暮れるのは夜の
9時を過ぎてからだ。この日、トニーアンドガイ パリのスタイリスト、ヤンが15
人のモデルを使ってファッション・ショーをする。そこで、僕はモデルのスタイリン
グが出来次第、街で撮影することにした。一人のモデルを撮影する時間は2、3分。
スピードが要求される。フランス人のカメラマン、フランソワにアシストを頼み、日
中シンクロのライティングで猛スピードで撮っていく。半裸に近い女性モデルをパリ
の街頭で撮影していると、何人もの警官がやってきた。ヤバイ、何か言われるかも。
もちろん街頭での撮影許可は取っていない。違法かどうかもわからない。捕まえたけ
れば、捕まえろ。あとは勝手にしやがれだ。大声でモデルに指示を出しながらバンバン撮っていく。振り返ると見物の人垣ができていた。警官達も、モデルの過激なファッションを見て喜んでいる。「ブラボー、ニンジャ」の声が後ろからかかる。激しく動き回る僕の撮影スタイルを面白がっているらしい。見物を楽しんだ警官達は、一言も注意せず、何事もなかったように歩み去って行った。ホッとする時間もなく、近くのクラブでショーが始まる。走って現場を移動する。
 ショーの撮影も終わり、サロンで皆とマッキントッシュで画像をチェックしていく。
「私の写真を見せて」とモデル達が次々とやってくる。写真のアガリに満足すると僕
の頬にキスをしてくれた。パリでは別れ際の挨拶なのだが、わかっていても嬉しかっ
た。もう「仲間」と呼べる程、親しくなれたトニーアンドガイのスタッフ達が次々と
握手を求めてくる。「お前はジャポンからきたナンバーワン フォトグラファーだ」
と人なつこいニコラがウィンクをする。「今日のスタイリングは最高にクールだったぜ」と僕もこたえる。互いに肩をたたき合い、ひと仕事を終えた喜びをわかちあった。


パリはパリさ


借りたストロボを神戸さんに返却するため、アシストをしてくれたフランソワとタクシーに乗る。神戸さんの家で皆で祝杯をあげた後、フランソワにあらためて礼を言う。再会を約し、フランソワと別れた。僕と神戸さんは夜風にでもあたりにいこうと、歩いてセーヌ川の河岸へ向かう。夜中の2時になろうという時刻にも関わらず、セーヌは多くの人が夏の夜を楽しんでいた。ノートルダム寺院の見える河岸に二人で腰をおろす。夜が明けたら、僕は日本への飛行機に乗らなければならなかった。この2週間のこと、パリの友人達、そして、出会った人達に対する感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。僕らは、ビールの瓶を持ち上げ、セーヌ川にむかって乾杯をする。「Paris est Paris(パリ エ パリ)」と神戸さんが言う。「どういう意味」とたずねると、「『パリはパリさ』ってことですョ」

「パリはパリ、、、か」心地よい夏の夜風が吹きわたる。
セーヌに映るパリの灯を眺めながら、またパリに来ることになるな、と僕は思った。

夢の続きを見るために。


「勝手にしやがれ 番外編 Paris est Paris 〜パリはパリさ〜」 完。

<あとがき>
この時に撮ったジュスティナの写真はロンドンのトニーアンドガイのワールド
ヘアファッションブックにフランスで2作品しか選ばれない中のひとつに
選ばれました。幸運に感謝します。

さて、ヴァカンスの季節も終わりこれから本格的にパリでモードの写真を
撮っていこうと思っています。このブログを読んでいる関係者の方。
スタイリスト、ヘアメイク、デザイナーの方がいらしたら、ご連絡下さい。
作品をつくりあげることに興味がある方にご協力をお願いします。アルバイト
感覚の方はご遠慮願いたい。よろしくお願いいたします。

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by paris-tsuzuki | 2005-08-26 09:18 | エッセイ
2005年 08月 12日

"勝手にしやがれ" A Bout de Souffle 野望編

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PHOTO&TEXT by TSUZUKI Kiyoshi

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このエッセイは「月刊カメラマン」モーターマガジン社刊、
2002年11、12月号に連載されたものに加筆、修正を加えたものです。

  第一部 パリへ

最初は犬の写真だった

 1998年6月、ある晴れた日曜の 午後のことだった。
「プロのカメラマンになるにはどうしたらいいのですか?」
 愚かにも、そんな質問をしたとき、僕の目の前に プロカメラマンのX氏がいた。
「都筑君は、どんな写真を撮っているの?」
 そうX氏に尋ねられ、ビクビクしながら 見せたのは家で飼ってる犬の写真だった。
「最初は僕もネコばかり撮っていたナ。」
 料理写真の世界で一流と言われている、 X氏の瞳がメガネの奥で微笑んでいた。
 大学を卒業して数年間、僕は自分が本当は何がしたいのか、わからないでいた。
 その時わかっていたのは、写真を撮ると いう行為が好きで、異常なまでの執着心を 持っているということだけだった。
 プロのカメラマンになることなど想像した ことすらなく、その日はプロの方に カメラマンになるのは難しいのか、などという一般論を、 聞きにきただけのつもりだった。
 しかし、X氏は甘い人間ではなかった。 いつの間にやら、昼食に出されたサバの押し寿司を自然光で撮影し、ブローニーのカメラの操作法法を教えられ、バンクライトを組み立て、あげくの果てには、 黒い布を被って、大きな4×5カメラのポラまで、撮らされていた。
 すっかり夜も更けた帰り際、何を撮るのが好きかと 尋ねられ、僕は思わず、「街とか、人」などと口走っていた。
「じゃあ、こういうのが好きだろう」
 そう言って、X氏から手渡されたのが、 アジェとブレッソンの写真集だった。 もちろん、当時はアジェもブレッソンも名前すら知らなかった。
アジェに憧れ、パリへ
 ユジェーヌ・アジェは、地方巡業の売れない役者をした後、40歳を過ぎてから 突然、写真家となった。放浪者同然の流しの写真家 などと言われたアジェは生涯をかけパリを撮り続け 記録した。今では20世紀を代表する偉大な写真家と言われ ているアジェに僕は憧れた。カメラマンになれるとかではなく、パリを自分の目で見て撮ること 、それが先決だった。なぜなら、パリが僕をよんでいるからだ。
 理不尽な信念と情熱に支えられバイトで旅費を稔出し 、時間を惜しんで仏語の文法と基本単語を必死になって勉強した。 持っていくカメラはコンパクトカメラと友人から、 借りた古い一眼レフ。Y氏からもらった旧式の ピンポン玉型の露出計を握りしめ僕はパリへと向かった。
 ソウル経由の格安チケットは3ヶ月のオープン、 日本へ戻る日など決めるつもりはなかった。

自由を感じて

 黒い大地が見えてきた。飛行機はパリ郊外をゆっくりと旋回し、シャルル・ド・ゴール空港に着陸した。空港から凱旋門でバスを降り、僕は初めてメトロに乗った。手でノブを回さないと開かない反自動のドアに戸惑っていると、黒人の男性がニヤリと笑いドアを開けてくれた。
 車内に入ると、アコーディオン弾きの奏でるメロディーが聞こえ、老婦人のバッグから顔だけ出してこっちを見てる小さな犬と目が合った。パリはまさに「おとぎの国」のようだった。
最初の一泊だけは日本から予約できる一番安いバスチーユのホテルに泊まった。 もっと節約しなければならなかったし、僕はパリに住んでみたかった。観光というより、この街に住んでるひとの中に入り込んでみたかった。
 そこで、僕が選んだのは、今では危険な地域といわれているガール・ドレ駅の周辺だった。近くには安いスーパーやパン屋があり、暮らし易そうに思えたからだ。
 軋む螺旋階段を昇り、幾重にも塗り重ねられた白いペンキのニオイのする部屋に入る。ちゃんと扉の閉まらない古いタンス。窓からはマジェンタ通り沿いの古い建物の屋根から生えてるオレンジ色の煙突が見える。
 僕は手を頭の後ろに組み、くたびれたベッドに寝転がる。一泊、約3.000円の安宿、名前は「オテル リベルティ」僕は自由を感じていた。
写真が撮れない
 もう我慢できなかった。パリの全てが見てみたい。趣味がランニングの僕はデイパックにミネラルウオーターとフランスパンを積み込んで、街の中へと走り出した。
 サンジェルマンデプレからエッフェル塔のまたの下を走り抜け、アレクサンドル三世橋からセーヌを渡る。チュイルリー公園で、ペットボトルの水を一口飲み、思わずため息をついた。しかし、スゴい。素晴らしい彫刻の数々が、橋の上から公園のあちこちにゴロゴロと無造作に置かれているのだ。どうなっているんだ、この国は。
 僕は写真を撮りにパリにやって来た。パリには絵になる街並や人々がいる。それを実際に見てシャッターをきれたら、どんなに素晴らしいかと思いここにやって来た。しかし、今、僕はシャッターをきれないでいた。どうしたらいいのか分からなかった。
 なぜなら、全部が絵になっているからだ。どうでもいいような建物から、人々の表情、ドアの把っ手に至るまで全てが美しい絵になっていた。そして、僕は街に魅了されてしまった。ある種、写真なんかどうでもよくなってしまった。
 東京では撮影のとき、スタイリストやスタッフがスタジオの中だけ、いやカメラのファインダーの中だけの美しい世界を演出し人工的に作り上げる。でも、ここでは不自然な演出をする必要などなく、普通に美しい世界が存在していた。どうなってるんだ、このパリという街は、僕は戸惑い、どうしたらいいものかと、思い悩んでしまった。


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ふと目を挙げると、そこには手で顔を覆うようにして立つ男性の彫像があった。彼も悩んでいるらしい、このチュイルリー公園で。僕は反射的にデイパックからカメラを取り出し、構図をきめシャッターをきっていた。自然と微笑みがこみあげてきた。コレでいいんだ。何かを感じ、楽しみ、それをどう表現するかだけを考えてシャッターをきる。そのためにパリに来たんだ。何かが吹っ切れた気がした。僕は悩み続ける彼を公園に残し、再び走り出した。
闇の中へ
 あっという間に一ヶ月近くが過ぎていた。毎日街を歩き回るのが楽しくてしかたなかった。近所の人たちと挨拶や天気の話しぐらいは出来るぐらいにはフランス語が上達していた。
 しかし、どんなに節約してもわずかな所持金は確実に底を尽きつつあった。
 そんなある日のことだった。パリ13区、中国人やアジア系住民の多い地区で、僕は安い定食を食べていた。その時ひとりの若い中国人の男が話し掛けてきた。中国語は話せないと英語で伝えると彼は英語の話せる中国人の青年を連れて来た。どうやら、ひと間違いだったらしい。
 人恋しさもあり、英語で気楽に話せる相手が欲しかった僕は、彼との会話を楽しんでいた。彼の名は「グウ」、若い二十歳前後の男の名は「ワン」というらしい。グウは上海の大学を卒業した後、大手の製薬会社で技術者として働いていた。しかし、上海も不況で不慣れな営業職に回され、会社に嫌気がさした彼は、知人を頼って、パリに来たという。
 流暢な英語、穏やかな物腰から彼はとても知的な人物に思われた。パリでは皿洗いをしているが、面白くない。そこで、今度は南フランスのホテルで住み込みのアルバイトの口があるので行ってみるつもりだと彼は言った。住居費がかからない分、稼ぎは悪くないのだと。
 その時、僕はビールの酔いも手伝い、つい、言ってしまった。
「それって、僕も一緒に行けないかな?」
 一瞬、真顔になったグウは言った。
「ボスに聞いてみるよ。ひとりぐらいなら、なんとかなるかもしれない」と。
 中華料理店を出て、グウは「どこか」に長い電話をかけた。そして、彼は言った。
「大丈夫だ、で、いつ出発する?」
「いつ出発できるんだ?」そう尋ねると
「おれたちは明日か明後日には行こうと思っていたんだが」
 僕は初めて不安を感じた。どうなるんだ、これから? いや、ここで退くわけにはいかない。僕はパリにフランスにまだいたいんだ。「明後日はどうかな?」
「オーケー、じゃあ、明後日の午後9時にガールドリヨンの駅のカフェで。」
 グウは単に待ち合わせの場所を決めるように言った。
 翌日、僕は荷物の整理をし、バックパックひとつにまとめた。考えてみれば、バカげた話だった。中華料理店で知り合った得体の知れない中国人達と南仏に無許可労働に行こうというのだ。どう考えてもヤバそう。でも、面白そう。何より僕はフランスに居たかった。
 南フランスに行く最も安い方法は夜行列車だった。
翌日の22時30分、グウ、ワン、僕の三人の東洋人を乗せたマルセーユ行きの夜行列車は、パリを出発し、やがて、闇の中へと吸い込まれていった。
 あとは「勝手にしやがれ」だ。


(第一部 パリ編 終了)

第二部 南フランス編

地中海を見ながら

 乾いた大地にツルハシを打ち込む。石 灰岩質の白っぽい塊が砕け散る。もう一度、 打ち込む。汗が目に入り、痛い。 裸の上半身も汗まみれだ。僕は手の甲で 目に入った汗を拭い、顔をあげた。 真っ青な空、そして空より蒼い海が陽光 を受けてキラキラと輝いている。地中海 を見下ろす小高い丘の上で、僕は穴を掘 っていた。
「ツヅキー、こっちへ来い。休もう」 大男のアンドレが呼んでいる。オリーブ の木の根元に二人で腰を下ろし、大きな ペットボトルの水を回し飲みする。ボト ルを口から離して飲む豪快なやり方だ。
南仏で働きはじめて一週間が経っていた。 此所は、マルセイユからバスで約一時間 半の地中海を見下ろす丘の上に建つ、と あるリゾート施設。シーズンオフという こともあり宿泊客は少ない。中国人のグウとワンそして日本人の僕は、ここで皿 洗いや時には穴掘りなどの雑用をしてい た。
 ホテルに着いたときに宿泊カードの ようなものを書かされ、パスポートは 「保管しておく」の一言で取り上げられて しまった。正直言ってビビったが、あとは勝手にしやがれだ。
 僕はオリーブの木陰に座り地中海に浮かぶヨットの白い帆を目 を細めるようにしながら眺めていた。       

日本の唄

 朝は6時から朝食の準備が始まる。そ のあとは大概、グウと一緒に皿洗いだ。 パリで皿洗いが嫌で南仏に来たグウは、 「ここでもコレだ」と肩をすくめる。
 よく鼻歌を唄いながろ皿を洗っているグウ に「歌が好きなんだな?」と尋ねると
「大学時代はコーラス部にいたんだ」
「じゃあ、カラオケは好き?」
「うん、実は好きなんだ。そう、日本の 唄も歌うよ。○×△○が好きなんだ。」
「それって、日本の歌手?」
「○×△○は知ってるはずだよ、有名だ」
そして、グウが歌いだす。なんと中国語 の歌詞になっているサザンの「いとしの エリー」だった。僕が大喜びで手を叩いて 笑いだすと、グウは得意になって大声 で歌いはじめる。南仏のホテルの厨房に、 皿を洗いながら、日本の唄を歌う中国人 の歌声が大きくこだましていた。       

友よパリで会おう

 ある日、いつものようにグウと皿洗い をしているとシェフが僕を呼んだ。
「中国人、こっちに来い」と。
「日本人だ」と言うと、
「わかった、日本人。ここの皿をキチ ンと整理しろ。同じ形を同じ場所に置くんだ。」
 そう言って何百枚と山積みになっ ている皿の山を指さした。
「ウイ、ダコール(はい、わかりました)」 と言い、僕は作業を始めた。
 数十分後、終わりましたとシェフに伝え る。整然と5つの種類に分類された皿の 山を見てシェフは大げさに、叫んだ。
「オウ、ニンジャ!スゴイぞ」
 大した事ではないのだが、仕事を素早くキチンと やる日本人にフランス人はいたく感動し た様子だった。 この日を境に僕は皿洗いからサラダや オードブルの盛り付け係りに昇格した。 ことあるごとにシェフが「ニンジャ」と か「ボンジャポネ(いい日本人)」と言っ て僕を指名してくれるからだ。
 一方、グウはずっと皿洗いの仕事だっ た。インテリのグウは我慢が出来なくな り、仕事の内容や給与について支配人に 直談判に行ってしまった。案の定、「イヤ なら辞めろ」と言われてしまいパリへ戻 ることになった。ワンも一緒にここを去 ると言う。
「ツヅキはどうする?」
「まだ、そんなにお金も貯まってないし、 僕はもう少しここでガンバルよ」
「そうか、じゃあパリで会おう。パリに 戻ったら必ず連絡してくれ。」
 もはや親友となっていたグウとワン。僕 等はパリでの再会を約束し、固い握手を 交わした。       


カメラ好き

 グウがいなくなり寂しそうにしている 僕に積極的に話しかけてくれたのが陽気 なミゲルだった。フランス語の他に、イ タリア語、スペイン語、英語を話す彼は、 なんと、カメラマンをやっていたこともあ ると言う。カール・ツアイスのレンズの話 しやキャノン、ニコンとカメラ好きの僕 等はたちまちのうちに仲が良くなった。
「オレは写真に詩をつけるんだ」とミゲ ルが言うと、「僕は写真に文章をつけて、 ストーリーにするんだ」などと語り合っ た。
 客室係の彼は仲間が多く、「ニンジャ ツヅキ」と言って、何かと僕をかまって くれる。休みの時間にフランス語を教え てくれるのは嬉しいのだが、この単語を 覚えたら誰それの前で言えと命令され、エッチな言葉を言わされる。大真面目な 表情でエッチな事を言う僕を見て、皆が 大爆笑という具合だ。       


さらば南仏

 11月も終わりに近づき、朝と夜はめっき り寒くなってきた。昼と夜の寒暖差と疲 労のせいで僕はカゼを引いてしまった。 セキが止まらず寒気がする。クビになるの がイヤで休まず働いていたが、そろそろ潮時 かもしれないと考えた。支配人に辞めた い旨を伝えるとスンナリと認められた。 「お前はいい日本人だ。オレ達の仲間だ」 いつもは仏頂面の支配人がやさしい笑顔 でねぎらってくれた。
 翌日、マルセイユへ向かうバスの窓か ら地中海を瞳に焼きつけた。山の白い岩 肌をパステル色に染めながら、地中海へ と沈む美しい夕陽を僕は決して忘れない。 働いている間、食事は全て賄いであっ たため、ほとんどお金は費わなかった。 おまけに予想以上に多くの給料を貰い 懐具合は暖かかった。パリへ帰ろう。 行きは夜行列車だったが、帰りはTGV だ。指定席に腰を下ろし、目を閉じる。 穴掘り、皿洗い、厨房、地中海、仲間の 笑顔。様々な想い出が浮かんでくる。
 やがて、TGVはパリへ向かって動き出す。 南フランスで、自分が少しだけ、タフに なった気がした。 さらば、南仏。

(第二部 南フランス編 終了)


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第3部 パリで再び

南仏帰り

 やっぱり、パリはいい。TGVを降り バックパックを肩にひっかけてメトロに 乗り換える。パリのなんとも言えない雑 踏感が僕の肌に合ってる気がする。とり あえず、馴染みのオテル・リベルテイへ行 くことにした。
「ムッシュ、お久しぶりです」ホテルの 従業員は僕の顔を覚えてくれていた。
「やあ、アンリ、元気だった?チョっと 南仏の方に行ってたんだ。ところで、 今日なんだけど、空いてる部屋あるかな? 出来れば前に使ってた、あの21号室が いいんだけど」
「チョっとお待ち下さい。ええ、空いて ます。でも掃除がまだなんで、少々、お待ち いただけますか?」
「もちろん、1時間ぐらいかな?じゃあ、 そこら辺をブラっとしてくるよ」 フランス語がスラスラと口をついて出て くる。少し得意な気持ちになっていた。

絶望

 パリに戻ってきてまず、グウと連絡が 取りたかった。早速、電話をしようと公 衆電話ボックスに入る。ところが、財布 の中に入れておいたメモは折れ目が擦り 切れて、どうしても数字が一つ読めなく なっていた。当てずっぽうに電話をかけ まくるが、「間違い電話でしょう。」と言 われてしまう。そうだ、ワンに電話しよ う。呼び出し音の後、いきなりワンの声 がした。
「ワン、ツヅキだ。パリに帰って来た。」
「ツヅキー!×○×△○○××△。」 そうだった。ワンはパリに2年近くいな がら、全くと言っていいほど仏語が話せ ないのだ。南仏にいるときも、いつも筆 談で、漢字を使うかボディランゲージで コミュニケーションをとっていたのだ。
「グウは、グウはどこにいるんだ。」
「グウ×○△×○グウ×○トラバーユ×」
 やっと、わかった単語は「グウ」「ト ラバーユ」だけだった。
 どうやら、グウは仕事に行っているら しい。「後で、また電話をする。」それだ けをなんとか伝えるのが精一杯だった。
 グウはパリにいる。だが、どうすれば会えるのだろう。この、広いパリで。
僕は絶望に包まれ、電話ボッ クスを後にした。


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パリでカメラマン・デビュー!

 ホテルをモンマルトルに移った。南仏 で従業員用の相部屋で過ごしていた僕には、オテル・リベルティでも贅沢に思え たからだ。グウとの再会はほぼ絶望的と 考えた僕は、毎日カメラをぶら下げてパ リを歩き回っていた。ところが気温は、 氷点下になる日もあり寒くてたまらなか った。そんなとき暖かくて最も心安らぐの が美術館だった。ルーブルなどは何日いても 飽きないし、絵画などから構図やライティ ングなど、学ぶべきことは山ほどあった。
 そんなある日のこと、僕がいつものよ うに首からカメラをぶら下げて帰ってく ると、ホテルの主人が話しかけてきた。
「いつもカメラを持っているな。お前は カメラマンか」と尋ねてきた。
「そうだ。」と応えると、
「今、うちの客室を改装しているんだが、 パンフレットを作るので写真を撮ってく れないか?」
「構わないヨ」
「ところで、あと何日くらいウチに泊ま るつもりだい?」
「う〜ん、2、3週間ぐらい」
「よし、今日から、部屋代はタダだ。 その代わりウチの写真を撮ってくれ」
「Ok、フィルムと現像代だけはお願いで きるのかな」
「もちろん」
 交渉成立。僕の撮った写真がホテルの パンフレットになる。期せずして、パリで カメラマンとしてデビューすること になった。
    

チャイニーズ・アメリカン

 翌日から、食堂、客室、中庭と少しず つ撮影を進める。それ以外の時間は美術 館巡りをしていた。 オルセー美術館へ入ろうとしていた時 のことだった。前を歩く女性が何かを落 とした。拾い上げてみるとそれは、黒い皮 のコンパクトカメラのケースだった。
「落としましたよ」と声をかけると、 振り向いたのは東洋系の顔立ちをした若 い女性だった。日本人ではない。ケース を手渡しながら反射的に「中国人ですか」 と尋ねると、
「ノー、アイマ、チャイニーズアメリカン」 歯切れのよいアメリカンイングリッシュが 返ってきた。
「中国語もはなせる?」「もちろん」と彼女 が答えた。やった!ついに英語と中国語 が話せる人に会えたのだ。僕は事情を話し、 中国語しか話せないワンに電話をしても らえないかと頼んでみた。
「電話するだけでしょ。もちろん、いいわ」 早速、オルセー美術館の公衆電話か ら電話をかける。電話口に出たのは他の中 国人で、ワンは夕方には戻るとのことだ。
夕方まで時間があるので、僕等は一緒にオル セーを見ようということになった。彼女 の名前は「カレン」。出身は上海で、今は カリフォルニアのコンピューター会社で 働いているとのこと。休暇でパリに住む 友人の家に遊びに来たのだそうだ。大学で 美術史を専攻していた彼女は、僕に印象派 の絵画について丁寧に説明してくれた。 せめてものお礼に僕は美術館のカフェで 彼女にサンドウイッチとコーヒーを奢った。
そして、夕方もう一度ワンに電話をし てみる。ワンはいた。中国語での会話の 後、彼女は僕に親指を立ててみせた。上手く いったらしい。
「待ち合わせの場所は、 どこならわかる?」
僕は彼等と出会った 中華料理店の近くの駅名をあげた。
「プラスディタリーの駅前のマクドナルドが わかるか聞いてくれ」
「わかるって」
「じゃあ、明日の夕方6時にプラスディ タリー駅のマックの前で。グウは、グウ は来れるのか?」
「オーケーですって、グウが来れるかは、 分からないけど、来れたら一緒に行くって」
「カレン、本当にどうもありがとう」
「よかったわネ。あなた達は本当に友達だっ たのね、彼もあなたのことずっと探して いたんですって、大体、言葉もわからな い者どうしが、どうして友達なのか私は 最初、信じられなかったわ」
「う〜ん、筆談とか肩を叩いたりとかで コミュニケーションをとってたんだ。 それで十分、友達なんだ」
そんなものかしら、という表情で彼女 は肩をすくめた。      

再会


 夕方6時、プラスディタリー駅の横断 歩道の前に僕は立っていた。 彼等は本当に来てくれるのだろうか?あ たりはもう、薄暗くなってきている。 グウやワンと再会することなど、もう 半ば諦めていた。3ヶ月のオープンチケッ トの期限が迫ってきていた。3日後には 成田行きの飛行機に乗らなければならな かった。
信号が変わった。ふと目をあげると、 グウが満面の笑みをたたえ、両手を広げ て横断歩道を渡ってきた。スローモーショ ンのようだった。肩を叩き合い、抱き合 う。その上から、覆いかぶさるように ワンが飛びついてきた。
「再会」できた。「友」に。      

決意


 飛行機は確実にアジアへと向かっていた。 この旅の意味について僕は考えてみたが、 よくわからなかった。パリは美しく、肌に 合う気がした。ただ、アジェやブレッソン のような写真を撮るには、ウデが、技術と 経験が足りなかった。日本でカメラマンと してのウデを磨く。プロのカメラマンとし ての技術を磨き、再びパリに乗り込もう! 首から下げたカメラを握りしめ僕は、そう 決意した。先のことなどはわからない、 精一杯やるだけ。
 あとは、「勝手にしやがれ」だ。

                              完



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<あとがき>

このエッセイは1998年の終わりの頃の出来事。
あれから、7年近くの歳月が過ぎた。その間、僕はプロカメラマンのアシスタント
を経て、制作会社の専属カメラマンとして勤務。十分な経験を積んだと判断し独立。
ツヅキフォトプロジェクトを立ち上げ、フリーランスのカメラマンとして、東京で 3年半やっていくことができた。最初の1年目こそ苦労はあったが仕事は軌道にのり
忙しい毎日を送っていた。ただ、このエッセイの最後にあるように「プロカメラマン
としての技術を磨いたらパリに乗り込む」という話はどこに行ってしまったのだろうか?時間を作り何度も渡仏し、写真を撮る。その写真で東京で展覧会を開き、「月刊
カメラマン」での2年間の連載。人気もそこそこ、出てきた。東京での仕事は安定し、クルマとパソコンを何台も買い替え、デジタルカメラにライティングの機材。モノばかりが増えてしまった。今年はパトリス・ジュリアン氏とのコラボレート展覧会に
お台場のホテルという派手な場所で、2ヶ月に渡るロングランの写真展。
皆様のご協力と幸運のおかげです。本当にありがとうございます。

そして、今、さらなる初心に帰るべく、パリに拠点を移し写真を撮っています。

一生懸命がんばっていきます。応援よろしくお願いいたします。

初志貫徹の志しをあらたにすべく、このエッセイを再掲載した次第です。
         


2005年8月

                          都筑 清

by paris-tsuzuki | 2005-08-12 08:21 | エッセイ