「パリ Paris」 カメラマン都筑 清の写真ブログ

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2005年 08月 12日

"勝手にしやがれ" A Bout de Souffle 野望編

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PHOTO&TEXT by TSUZUKI Kiyoshi

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このエッセイは「月刊カメラマン」モーターマガジン社刊、
2002年11、12月号に連載されたものに加筆、修正を加えたものです。

  第一部 パリへ

最初は犬の写真だった

 1998年6月、ある晴れた日曜の 午後のことだった。
「プロのカメラマンになるにはどうしたらいいのですか?」
 愚かにも、そんな質問をしたとき、僕の目の前に プロカメラマンのX氏がいた。
「都筑君は、どんな写真を撮っているの?」
 そうX氏に尋ねられ、ビクビクしながら 見せたのは家で飼ってる犬の写真だった。
「最初は僕もネコばかり撮っていたナ。」
 料理写真の世界で一流と言われている、 X氏の瞳がメガネの奥で微笑んでいた。
 大学を卒業して数年間、僕は自分が本当は何がしたいのか、わからないでいた。
 その時わかっていたのは、写真を撮ると いう行為が好きで、異常なまでの執着心を 持っているということだけだった。
 プロのカメラマンになることなど想像した ことすらなく、その日はプロの方に カメラマンになるのは難しいのか、などという一般論を、 聞きにきただけのつもりだった。
 しかし、X氏は甘い人間ではなかった。 いつの間にやら、昼食に出されたサバの押し寿司を自然光で撮影し、ブローニーのカメラの操作法法を教えられ、バンクライトを組み立て、あげくの果てには、 黒い布を被って、大きな4×5カメラのポラまで、撮らされていた。
 すっかり夜も更けた帰り際、何を撮るのが好きかと 尋ねられ、僕は思わず、「街とか、人」などと口走っていた。
「じゃあ、こういうのが好きだろう」
 そう言って、X氏から手渡されたのが、 アジェとブレッソンの写真集だった。 もちろん、当時はアジェもブレッソンも名前すら知らなかった。
アジェに憧れ、パリへ
 ユジェーヌ・アジェは、地方巡業の売れない役者をした後、40歳を過ぎてから 突然、写真家となった。放浪者同然の流しの写真家 などと言われたアジェは生涯をかけパリを撮り続け 記録した。今では20世紀を代表する偉大な写真家と言われ ているアジェに僕は憧れた。カメラマンになれるとかではなく、パリを自分の目で見て撮ること 、それが先決だった。なぜなら、パリが僕をよんでいるからだ。
 理不尽な信念と情熱に支えられバイトで旅費を稔出し 、時間を惜しんで仏語の文法と基本単語を必死になって勉強した。 持っていくカメラはコンパクトカメラと友人から、 借りた古い一眼レフ。Y氏からもらった旧式の ピンポン玉型の露出計を握りしめ僕はパリへと向かった。
 ソウル経由の格安チケットは3ヶ月のオープン、 日本へ戻る日など決めるつもりはなかった。

自由を感じて

 黒い大地が見えてきた。飛行機はパリ郊外をゆっくりと旋回し、シャルル・ド・ゴール空港に着陸した。空港から凱旋門でバスを降り、僕は初めてメトロに乗った。手でノブを回さないと開かない反自動のドアに戸惑っていると、黒人の男性がニヤリと笑いドアを開けてくれた。
 車内に入ると、アコーディオン弾きの奏でるメロディーが聞こえ、老婦人のバッグから顔だけ出してこっちを見てる小さな犬と目が合った。パリはまさに「おとぎの国」のようだった。
最初の一泊だけは日本から予約できる一番安いバスチーユのホテルに泊まった。 もっと節約しなければならなかったし、僕はパリに住んでみたかった。観光というより、この街に住んでるひとの中に入り込んでみたかった。
 そこで、僕が選んだのは、今では危険な地域といわれているガール・ドレ駅の周辺だった。近くには安いスーパーやパン屋があり、暮らし易そうに思えたからだ。
 軋む螺旋階段を昇り、幾重にも塗り重ねられた白いペンキのニオイのする部屋に入る。ちゃんと扉の閉まらない古いタンス。窓からはマジェンタ通り沿いの古い建物の屋根から生えてるオレンジ色の煙突が見える。
 僕は手を頭の後ろに組み、くたびれたベッドに寝転がる。一泊、約3.000円の安宿、名前は「オテル リベルティ」僕は自由を感じていた。
写真が撮れない
 もう我慢できなかった。パリの全てが見てみたい。趣味がランニングの僕はデイパックにミネラルウオーターとフランスパンを積み込んで、街の中へと走り出した。
 サンジェルマンデプレからエッフェル塔のまたの下を走り抜け、アレクサンドル三世橋からセーヌを渡る。チュイルリー公園で、ペットボトルの水を一口飲み、思わずため息をついた。しかし、スゴい。素晴らしい彫刻の数々が、橋の上から公園のあちこちにゴロゴロと無造作に置かれているのだ。どうなっているんだ、この国は。
 僕は写真を撮りにパリにやって来た。パリには絵になる街並や人々がいる。それを実際に見てシャッターをきれたら、どんなに素晴らしいかと思いここにやって来た。しかし、今、僕はシャッターをきれないでいた。どうしたらいいのか分からなかった。
 なぜなら、全部が絵になっているからだ。どうでもいいような建物から、人々の表情、ドアの把っ手に至るまで全てが美しい絵になっていた。そして、僕は街に魅了されてしまった。ある種、写真なんかどうでもよくなってしまった。
 東京では撮影のとき、スタイリストやスタッフがスタジオの中だけ、いやカメラのファインダーの中だけの美しい世界を演出し人工的に作り上げる。でも、ここでは不自然な演出をする必要などなく、普通に美しい世界が存在していた。どうなってるんだ、このパリという街は、僕は戸惑い、どうしたらいいものかと、思い悩んでしまった。


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ふと目を挙げると、そこには手で顔を覆うようにして立つ男性の彫像があった。彼も悩んでいるらしい、このチュイルリー公園で。僕は反射的にデイパックからカメラを取り出し、構図をきめシャッターをきっていた。自然と微笑みがこみあげてきた。コレでいいんだ。何かを感じ、楽しみ、それをどう表現するかだけを考えてシャッターをきる。そのためにパリに来たんだ。何かが吹っ切れた気がした。僕は悩み続ける彼を公園に残し、再び走り出した。
闇の中へ
 あっという間に一ヶ月近くが過ぎていた。毎日街を歩き回るのが楽しくてしかたなかった。近所の人たちと挨拶や天気の話しぐらいは出来るぐらいにはフランス語が上達していた。
 しかし、どんなに節約してもわずかな所持金は確実に底を尽きつつあった。
 そんなある日のことだった。パリ13区、中国人やアジア系住民の多い地区で、僕は安い定食を食べていた。その時ひとりの若い中国人の男が話し掛けてきた。中国語は話せないと英語で伝えると彼は英語の話せる中国人の青年を連れて来た。どうやら、ひと間違いだったらしい。
 人恋しさもあり、英語で気楽に話せる相手が欲しかった僕は、彼との会話を楽しんでいた。彼の名は「グウ」、若い二十歳前後の男の名は「ワン」というらしい。グウは上海の大学を卒業した後、大手の製薬会社で技術者として働いていた。しかし、上海も不況で不慣れな営業職に回され、会社に嫌気がさした彼は、知人を頼って、パリに来たという。
 流暢な英語、穏やかな物腰から彼はとても知的な人物に思われた。パリでは皿洗いをしているが、面白くない。そこで、今度は南フランスのホテルで住み込みのアルバイトの口があるので行ってみるつもりだと彼は言った。住居費がかからない分、稼ぎは悪くないのだと。
 その時、僕はビールの酔いも手伝い、つい、言ってしまった。
「それって、僕も一緒に行けないかな?」
 一瞬、真顔になったグウは言った。
「ボスに聞いてみるよ。ひとりぐらいなら、なんとかなるかもしれない」と。
 中華料理店を出て、グウは「どこか」に長い電話をかけた。そして、彼は言った。
「大丈夫だ、で、いつ出発する?」
「いつ出発できるんだ?」そう尋ねると
「おれたちは明日か明後日には行こうと思っていたんだが」
 僕は初めて不安を感じた。どうなるんだ、これから? いや、ここで退くわけにはいかない。僕はパリにフランスにまだいたいんだ。「明後日はどうかな?」
「オーケー、じゃあ、明後日の午後9時にガールドリヨンの駅のカフェで。」
 グウは単に待ち合わせの場所を決めるように言った。
 翌日、僕は荷物の整理をし、バックパックひとつにまとめた。考えてみれば、バカげた話だった。中華料理店で知り合った得体の知れない中国人達と南仏に無許可労働に行こうというのだ。どう考えてもヤバそう。でも、面白そう。何より僕はフランスに居たかった。
 南フランスに行く最も安い方法は夜行列車だった。
翌日の22時30分、グウ、ワン、僕の三人の東洋人を乗せたマルセーユ行きの夜行列車は、パリを出発し、やがて、闇の中へと吸い込まれていった。
 あとは「勝手にしやがれ」だ。


(第一部 パリ編 終了)

第二部 南フランス編

地中海を見ながら

 乾いた大地にツルハシを打ち込む。石 灰岩質の白っぽい塊が砕け散る。もう一度、 打ち込む。汗が目に入り、痛い。 裸の上半身も汗まみれだ。僕は手の甲で 目に入った汗を拭い、顔をあげた。 真っ青な空、そして空より蒼い海が陽光 を受けてキラキラと輝いている。地中海 を見下ろす小高い丘の上で、僕は穴を掘 っていた。
「ツヅキー、こっちへ来い。休もう」 大男のアンドレが呼んでいる。オリーブ の木の根元に二人で腰を下ろし、大きな ペットボトルの水を回し飲みする。ボト ルを口から離して飲む豪快なやり方だ。
南仏で働きはじめて一週間が経っていた。 此所は、マルセイユからバスで約一時間 半の地中海を見下ろす丘の上に建つ、と あるリゾート施設。シーズンオフという こともあり宿泊客は少ない。中国人のグウとワンそして日本人の僕は、ここで皿 洗いや時には穴掘りなどの雑用をしてい た。
 ホテルに着いたときに宿泊カードの ようなものを書かされ、パスポートは 「保管しておく」の一言で取り上げられて しまった。正直言ってビビったが、あとは勝手にしやがれだ。
 僕はオリーブの木陰に座り地中海に浮かぶヨットの白い帆を目 を細めるようにしながら眺めていた。       

日本の唄

 朝は6時から朝食の準備が始まる。そ のあとは大概、グウと一緒に皿洗いだ。 パリで皿洗いが嫌で南仏に来たグウは、 「ここでもコレだ」と肩をすくめる。
 よく鼻歌を唄いながろ皿を洗っているグウ に「歌が好きなんだな?」と尋ねると
「大学時代はコーラス部にいたんだ」
「じゃあ、カラオケは好き?」
「うん、実は好きなんだ。そう、日本の 唄も歌うよ。○×△○が好きなんだ。」
「それって、日本の歌手?」
「○×△○は知ってるはずだよ、有名だ」
そして、グウが歌いだす。なんと中国語 の歌詞になっているサザンの「いとしの エリー」だった。僕が大喜びで手を叩いて 笑いだすと、グウは得意になって大声 で歌いはじめる。南仏のホテルの厨房に、 皿を洗いながら、日本の唄を歌う中国人 の歌声が大きくこだましていた。       

友よパリで会おう

 ある日、いつものようにグウと皿洗い をしているとシェフが僕を呼んだ。
「中国人、こっちに来い」と。
「日本人だ」と言うと、
「わかった、日本人。ここの皿をキチ ンと整理しろ。同じ形を同じ場所に置くんだ。」
 そう言って何百枚と山積みになっ ている皿の山を指さした。
「ウイ、ダコール(はい、わかりました)」 と言い、僕は作業を始めた。
 数十分後、終わりましたとシェフに伝え る。整然と5つの種類に分類された皿の 山を見てシェフは大げさに、叫んだ。
「オウ、ニンジャ!スゴイぞ」
 大した事ではないのだが、仕事を素早くキチンと やる日本人にフランス人はいたく感動し た様子だった。 この日を境に僕は皿洗いからサラダや オードブルの盛り付け係りに昇格した。 ことあるごとにシェフが「ニンジャ」と か「ボンジャポネ(いい日本人)」と言っ て僕を指名してくれるからだ。
 一方、グウはずっと皿洗いの仕事だっ た。インテリのグウは我慢が出来なくな り、仕事の内容や給与について支配人に 直談判に行ってしまった。案の定、「イヤ なら辞めろ」と言われてしまいパリへ戻 ることになった。ワンも一緒にここを去 ると言う。
「ツヅキはどうする?」
「まだ、そんなにお金も貯まってないし、 僕はもう少しここでガンバルよ」
「そうか、じゃあパリで会おう。パリに 戻ったら必ず連絡してくれ。」
 もはや親友となっていたグウとワン。僕 等はパリでの再会を約束し、固い握手を 交わした。       


カメラ好き

 グウがいなくなり寂しそうにしている 僕に積極的に話しかけてくれたのが陽気 なミゲルだった。フランス語の他に、イ タリア語、スペイン語、英語を話す彼は、 なんと、カメラマンをやっていたこともあ ると言う。カール・ツアイスのレンズの話 しやキャノン、ニコンとカメラ好きの僕 等はたちまちのうちに仲が良くなった。
「オレは写真に詩をつけるんだ」とミゲ ルが言うと、「僕は写真に文章をつけて、 ストーリーにするんだ」などと語り合っ た。
 客室係の彼は仲間が多く、「ニンジャ ツヅキ」と言って、何かと僕をかまって くれる。休みの時間にフランス語を教え てくれるのは嬉しいのだが、この単語を 覚えたら誰それの前で言えと命令され、エッチな言葉を言わされる。大真面目な 表情でエッチな事を言う僕を見て、皆が 大爆笑という具合だ。       


さらば南仏

 11月も終わりに近づき、朝と夜はめっき り寒くなってきた。昼と夜の寒暖差と疲 労のせいで僕はカゼを引いてしまった。 セキが止まらず寒気がする。クビになるの がイヤで休まず働いていたが、そろそろ潮時 かもしれないと考えた。支配人に辞めた い旨を伝えるとスンナリと認められた。 「お前はいい日本人だ。オレ達の仲間だ」 いつもは仏頂面の支配人がやさしい笑顔 でねぎらってくれた。
 翌日、マルセイユへ向かうバスの窓か ら地中海を瞳に焼きつけた。山の白い岩 肌をパステル色に染めながら、地中海へ と沈む美しい夕陽を僕は決して忘れない。 働いている間、食事は全て賄いであっ たため、ほとんどお金は費わなかった。 おまけに予想以上に多くの給料を貰い 懐具合は暖かかった。パリへ帰ろう。 行きは夜行列車だったが、帰りはTGV だ。指定席に腰を下ろし、目を閉じる。 穴掘り、皿洗い、厨房、地中海、仲間の 笑顔。様々な想い出が浮かんでくる。
 やがて、TGVはパリへ向かって動き出す。 南フランスで、自分が少しだけ、タフに なった気がした。 さらば、南仏。

(第二部 南フランス編 終了)


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第3部 パリで再び

南仏帰り

 やっぱり、パリはいい。TGVを降り バックパックを肩にひっかけてメトロに 乗り換える。パリのなんとも言えない雑 踏感が僕の肌に合ってる気がする。とり あえず、馴染みのオテル・リベルテイへ行 くことにした。
「ムッシュ、お久しぶりです」ホテルの 従業員は僕の顔を覚えてくれていた。
「やあ、アンリ、元気だった?チョっと 南仏の方に行ってたんだ。ところで、 今日なんだけど、空いてる部屋あるかな? 出来れば前に使ってた、あの21号室が いいんだけど」
「チョっとお待ち下さい。ええ、空いて ます。でも掃除がまだなんで、少々、お待ち いただけますか?」
「もちろん、1時間ぐらいかな?じゃあ、 そこら辺をブラっとしてくるよ」 フランス語がスラスラと口をついて出て くる。少し得意な気持ちになっていた。

絶望

 パリに戻ってきてまず、グウと連絡が 取りたかった。早速、電話をしようと公 衆電話ボックスに入る。ところが、財布 の中に入れておいたメモは折れ目が擦り 切れて、どうしても数字が一つ読めなく なっていた。当てずっぽうに電話をかけ まくるが、「間違い電話でしょう。」と言 われてしまう。そうだ、ワンに電話しよ う。呼び出し音の後、いきなりワンの声 がした。
「ワン、ツヅキだ。パリに帰って来た。」
「ツヅキー!×○×△○○××△。」 そうだった。ワンはパリに2年近くいな がら、全くと言っていいほど仏語が話せ ないのだ。南仏にいるときも、いつも筆 談で、漢字を使うかボディランゲージで コミュニケーションをとっていたのだ。
「グウは、グウはどこにいるんだ。」
「グウ×○△×○グウ×○トラバーユ×」
 やっと、わかった単語は「グウ」「ト ラバーユ」だけだった。
 どうやら、グウは仕事に行っているら しい。「後で、また電話をする。」それだ けをなんとか伝えるのが精一杯だった。
 グウはパリにいる。だが、どうすれば会えるのだろう。この、広いパリで。
僕は絶望に包まれ、電話ボッ クスを後にした。


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パリでカメラマン・デビュー!

 ホテルをモンマルトルに移った。南仏 で従業員用の相部屋で過ごしていた僕には、オテル・リベルティでも贅沢に思え たからだ。グウとの再会はほぼ絶望的と 考えた僕は、毎日カメラをぶら下げてパ リを歩き回っていた。ところが気温は、 氷点下になる日もあり寒くてたまらなか った。そんなとき暖かくて最も心安らぐの が美術館だった。ルーブルなどは何日いても 飽きないし、絵画などから構図やライティ ングなど、学ぶべきことは山ほどあった。
 そんなある日のこと、僕がいつものよ うに首からカメラをぶら下げて帰ってく ると、ホテルの主人が話しかけてきた。
「いつもカメラを持っているな。お前は カメラマンか」と尋ねてきた。
「そうだ。」と応えると、
「今、うちの客室を改装しているんだが、 パンフレットを作るので写真を撮ってく れないか?」
「構わないヨ」
「ところで、あと何日くらいウチに泊ま るつもりだい?」
「う〜ん、2、3週間ぐらい」
「よし、今日から、部屋代はタダだ。 その代わりウチの写真を撮ってくれ」
「Ok、フィルムと現像代だけはお願いで きるのかな」
「もちろん」
 交渉成立。僕の撮った写真がホテルの パンフレットになる。期せずして、パリで カメラマンとしてデビューすること になった。
    

チャイニーズ・アメリカン

 翌日から、食堂、客室、中庭と少しず つ撮影を進める。それ以外の時間は美術 館巡りをしていた。 オルセー美術館へ入ろうとしていた時 のことだった。前を歩く女性が何かを落 とした。拾い上げてみるとそれは、黒い皮 のコンパクトカメラのケースだった。
「落としましたよ」と声をかけると、 振り向いたのは東洋系の顔立ちをした若 い女性だった。日本人ではない。ケース を手渡しながら反射的に「中国人ですか」 と尋ねると、
「ノー、アイマ、チャイニーズアメリカン」 歯切れのよいアメリカンイングリッシュが 返ってきた。
「中国語もはなせる?」「もちろん」と彼女 が答えた。やった!ついに英語と中国語 が話せる人に会えたのだ。僕は事情を話し、 中国語しか話せないワンに電話をしても らえないかと頼んでみた。
「電話するだけでしょ。もちろん、いいわ」 早速、オルセー美術館の公衆電話か ら電話をかける。電話口に出たのは他の中 国人で、ワンは夕方には戻るとのことだ。
夕方まで時間があるので、僕等は一緒にオル セーを見ようということになった。彼女 の名前は「カレン」。出身は上海で、今は カリフォルニアのコンピューター会社で 働いているとのこと。休暇でパリに住む 友人の家に遊びに来たのだそうだ。大学で 美術史を専攻していた彼女は、僕に印象派 の絵画について丁寧に説明してくれた。 せめてものお礼に僕は美術館のカフェで 彼女にサンドウイッチとコーヒーを奢った。
そして、夕方もう一度ワンに電話をし てみる。ワンはいた。中国語での会話の 後、彼女は僕に親指を立ててみせた。上手く いったらしい。
「待ち合わせの場所は、 どこならわかる?」
僕は彼等と出会った 中華料理店の近くの駅名をあげた。
「プラスディタリーの駅前のマクドナルドが わかるか聞いてくれ」
「わかるって」
「じゃあ、明日の夕方6時にプラスディ タリー駅のマックの前で。グウは、グウ は来れるのか?」
「オーケーですって、グウが来れるかは、 分からないけど、来れたら一緒に行くって」
「カレン、本当にどうもありがとう」
「よかったわネ。あなた達は本当に友達だっ たのね、彼もあなたのことずっと探して いたんですって、大体、言葉もわからな い者どうしが、どうして友達なのか私は 最初、信じられなかったわ」
「う〜ん、筆談とか肩を叩いたりとかで コミュニケーションをとってたんだ。 それで十分、友達なんだ」
そんなものかしら、という表情で彼女 は肩をすくめた。      

再会


 夕方6時、プラスディタリー駅の横断 歩道の前に僕は立っていた。 彼等は本当に来てくれるのだろうか?あ たりはもう、薄暗くなってきている。 グウやワンと再会することなど、もう 半ば諦めていた。3ヶ月のオープンチケッ トの期限が迫ってきていた。3日後には 成田行きの飛行機に乗らなければならな かった。
信号が変わった。ふと目をあげると、 グウが満面の笑みをたたえ、両手を広げ て横断歩道を渡ってきた。スローモーショ ンのようだった。肩を叩き合い、抱き合 う。その上から、覆いかぶさるように ワンが飛びついてきた。
「再会」できた。「友」に。      

決意


 飛行機は確実にアジアへと向かっていた。 この旅の意味について僕は考えてみたが、 よくわからなかった。パリは美しく、肌に 合う気がした。ただ、アジェやブレッソン のような写真を撮るには、ウデが、技術と 経験が足りなかった。日本でカメラマンと してのウデを磨く。プロのカメラマンとし ての技術を磨き、再びパリに乗り込もう! 首から下げたカメラを握りしめ僕は、そう 決意した。先のことなどはわからない、 精一杯やるだけ。
 あとは、「勝手にしやがれ」だ。

                              完



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<あとがき>

このエッセイは1998年の終わりの頃の出来事。
あれから、7年近くの歳月が過ぎた。その間、僕はプロカメラマンのアシスタント
を経て、制作会社の専属カメラマンとして勤務。十分な経験を積んだと判断し独立。
ツヅキフォトプロジェクトを立ち上げ、フリーランスのカメラマンとして、東京で 3年半やっていくことができた。最初の1年目こそ苦労はあったが仕事は軌道にのり
忙しい毎日を送っていた。ただ、このエッセイの最後にあるように「プロカメラマン
としての技術を磨いたらパリに乗り込む」という話はどこに行ってしまったのだろうか?時間を作り何度も渡仏し、写真を撮る。その写真で東京で展覧会を開き、「月刊
カメラマン」での2年間の連載。人気もそこそこ、出てきた。東京での仕事は安定し、クルマとパソコンを何台も買い替え、デジタルカメラにライティングの機材。モノばかりが増えてしまった。今年はパトリス・ジュリアン氏とのコラボレート展覧会に
お台場のホテルという派手な場所で、2ヶ月に渡るロングランの写真展。
皆様のご協力と幸運のおかげです。本当にありがとうございます。

そして、今、さらなる初心に帰るべく、パリに拠点を移し写真を撮っています。

一生懸命がんばっていきます。応援よろしくお願いいたします。

初志貫徹の志しをあらたにすべく、このエッセイを再掲載した次第です。
         


2005年8月

                          都筑 清

by paris-tsuzuki | 2005-08-12 08:21 | エッセイ


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