「パリ Paris」 カメラマン都筑 清の写真ブログ

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2005年 12月 26日

日仏生活比較学論序説 vol4 ノエルとクリスマス

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フランス語でクリスマスのことを
ノエルと言う。日本語ではクリス
マスの事を基督聖誕祭とも書ける
が一般的にはクリスマスという、
外来語がそのまま使われている。
そこで本稿では、フランスのクリ
スマスをノエルとし、日本のそれ
をクリスマスと表記して、両者の
文化的な比較を論じようと思う。

ノエルもクリスマスも国民的行事
となっている点では、もはや共通
と言っても過言ではない。

しかし、僕はこの約一ヶ月間の
パリの様子を見てきて、ノエルと
クリスマスは根本的な部分で違う
ものだ、という結論にいたった。

一言でいえば「宗教」と「商業」
日本では、クリスマス商戦という
言葉があるように「商業的戦争」
としての色彩が色濃い。


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すなわち、クリスマスとはプレ
ゼントを買い、普段よりも高価
なものを食べるという商業的な
消費行動のための行事としての
位置づけがなされている。そこ
に宗教的色合いはほとんど感じ
られないのが国民の一般の意識
ではなかろうか。

もちろんパリにも大型デパート
を筆頭にノエル商戦なるものは
存在する。市内の各所で特別な
市場がたつ。しかし、それは、
ノエルという宗教的行事のため
に贈り物がどうしても必要であ
り、特別な食事を用意しなけれ
ばならないという、脅迫観念の
ようなものですらある。

この空気感の違いは、24日の
午後11時45分に地元の教会
に行ってみて、僕は、はじめて
わかったような気がした。


12月24日は、店が早く閉まる。夜10時までやっているスーパーは
8時に閉店し、駅前のカフェも早じまいする。なぜか。ノエルの夜は家族で食事を
しなければならないからである。それは日本で正月に親戚一同が集まるようなもの。
これに出席しないとは何事だ、という雰囲気すらある。もちろんフランスでも離婚が
増え家族といっても複雑になっている。しかし、嫌でも一家が集まり気詰まりな程の
緊張感の中、食事を一緒にしなければならないという伝統が今でもある。そのため、
ノエルの夜は早じまい、ということになるのだ。「宗教」が「商業」よりもはるかに
重点が置かれていることの象徴ともいえよう。

そして、夜の11時半過ぎ。商業的な国が出身の僕は、ワインだけはしっかり飲むと
宗教的な現場を見るために外にでた。人影のまばらな商店街を抜けると近所で一番、
大きな教会につきあたる。酔っぱらいが消防署員に介護されている姿があるだけで
あたりは閑散としていた。重く大きな木の扉を押し開け、僕は教会の内部へと足を
踏み入れた。

教会の中は立錐の余地もないほどの人。高い天井に荘厳なパイプオルガンの音が
響き渡る。まさに、ミサの真最中であった。奥の一段高くなった演壇の上では、
白装束に身を固めた何人もの神父さんが儀式をとり行っている。聖書を読み上げ、
ときおり皆が声をそろえ「アーメン」と唱える。まさに厳粛な空気がそこには存在
していた。日本でも大晦日に放映される「ゆく年、来る年」などでは厳粛な高野山
の僧の姿が映し出される。あの映像を見て新年を迎えるにあたり襟をただす気持ち
が日本にはある。それに近いのが、パリのノエルではなかろうか。深夜にもかかわ
らず、教会の中には厳かな空気が漂い、僕はノエルの本質はここにあると感じた。

「宗教」と「商業」この日仏のクリスマスに対する本質的な違いは各所に表われる。
例えば、食事。フランスではジビエと言って野生動物の肉をノエルに食べる習慣が
ある。鹿、イノシシ、鴨といった肉料理を伝統的な手法で各家庭で調理する。自然
の恵みに感謝すると同時に肉が貴重だった時代の名残でもある。それを前述したよ
うに家族が集まり家庭で食べなければならないのだ。したがって、パリではカフェ
やレストランでノエルの食事をとるのは観光客か家庭のない特別の事情を持った人
ということになる。それが、「宗教」的な習慣となっているからだ。

一方、日本では恋人同士がクリスマスという特別な日を高級レストランで食事をし
たり、高価なプレゼントを交換しあうという、特別な商業的消費行動によって祝う
習慣がある。あるいはや友人同士が集まり、クリスマスパーティーと称する「冬の
お花見」とも言える集会を催す習慣がある。また、僕がインターネットという小さ
な窓を通して海外から日本という国を覗き見たとき、イルミネーション合戦という
状況に気がついた。目がチカチカするような多色の電飾を競い合っているらしい。
なぜイルミネーションを競い合うのか。なぜなら、きれいな電飾が話題となれば、
多くの人が集まり、人集まるとこに金集まる。という商業的な論理が厳粛なまでに
存在していることに気づいた。なるほど。日本におけるクリスマスとは、まさに
「商業」的な習慣なのだ。

僕が言いたいことは、フランスは「宗教」的だから純粋で素晴らしく、日本は
「商業」的だから不純で間違っている、ということではない。もはや定着している
各国の同じような習慣の裏側に、こんなにも違う本質が存在するということを
明らかにしたかっただけである。

では、なぜクリスマスという習慣が全世界的な習慣ないし、イベントとなったので
あろうか。少なくとも、日仏という両国のクリスマスを見た僕が感じたのは「夢」
を与えてくれるから、だと思った。すなわち、サンタクロースが、贈り物を届けて
くれる、子供達に夢を与えるファンタジーが、各国の習慣をこえて支持されている
理由なのではないか、と僕は感じた。


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by paris-tsuzuki | 2005-12-26 02:05 | エッセイ


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