2005年 11月 16日
ある日、メトロに乗っていると 車内にイスを持ち込んでいる人 に出会った。思わず、その椅子 は蚤の市で買ったの?などと、 尋ねてみる。すると、母親の家 で使わなくなったので、自分の 部屋に持ってくることにしたの だと、言う。 ああ、そう。いいねー。などと、 メトロの車内で軽く世間話など をする。 こういう事はパリのメトロでは、 日常的なこと。しかし、日本では 知っている人でない限り、電車 の車内では会話をすことなど、 通常ありえない、という社会的 な「常識」というヤツがある。 それは、なぜなのかについて、 今日は考察をくわえていこう と思う。 これらの違いが生じる第一の理由は、「距離感」。 人との間にとる無意識の距離感が日本よりもフランスの方が近く 感じる時がある。まず、話をしようという感じで目があったら、 まあ、話せば、という雰囲気がある。 次に、民族性ということに関わってくる。いわゆる地中海系の ラテン民族という、スペイン、フランス、イタリアという国々 の人達の特性に由来する。すなわち、ラテン民族の人達は習慣 として、目を見て話し込むという特性がある。この習慣自体は どうということはない。そういう習慣があるということに過ぎ ない。問題は、その習慣をどのように人がとらえるか、という こと。それは、人との関わりに関する儒教とカソリックという 宗教的なココロの問題に関わると言わざるをえない。つまり、 わかりやすく言えば、フランス人やイタリア人の男のひとが、 日本の女性を含めてだれかれかまわずに、熱心に語りかける 様子は、儒教的には「不誠実な人」ということになる。なぜ なら、「クチがうまい人は信用してはならない」という儒教 の伝統的な判断基準があるからだ。一方、ラテン民族側から すれば、挨拶もしないような人は信用してはならない。という 考え方がある。ロクに目をみることなく、ひたすら頭を何回も 下げて意味もなく謝る人達は不可思議な存在に映る。目の前に いるのに、何も見ていないような所作をすることや、軽々しく 見知らぬ人とはクチをきかないことを「品格がある」と考える 儒教的な道徳観はラテン民族に理解されることは、まずない。 そして、皆、嬉しそうに椅子を 運んでいく。 さて、まとめとしてラテン民族が主流を占めるパリで 楽しく過ごす方法を教えよう。 「目を見て必死でフランス語で話すこと」たとえ言葉が下手でも。 郷に入れば郷に従え、という日本の素晴らしい言葉もある。 もともと、ラテンなノリの僕としては、いたく住み心地のよい場所だと、 つくづく思う。 この写真が気に入ったらコチラに一票! ご感想・撮影依頼はこちらまで
by paris-tsuzuki
| 2005-11-16 11:06
| エッセイ
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パリ在住カメラマン都筑清 TSUZUKI Kiyoshi のファッション・グルメ・ライフスタイル情報ブログ 横浜生れ 早稲田大学法学部卒 フランスパリ写真コンクール準グランプリ受賞 '05年活動拠点を東京からパリに移す by paris-tsuzuki カレンダー
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