2005年 11月 14日
パリ8区、モンソー公園の程近くに ニシム・ド・カモンド美術館とい う、貴族の元邸宅が建っている。 有名ではない美術館だが、足を 運ぶ価値はある。 20世紀初頭、ベルエポックと呼ば れた旧き良き時代。銀行家として 成功したムアーズ・ド・カモンド 卿は、熱烈な美術品のコレクター でもあった。とりわけ、18世紀の アンティークのコレクションは、 個人としては、比類をみない程。 そのコレクションに見合う邸宅を 建てるべく、ムアーズは当時の 人気建築家ルネ・セルジャンに 建築を依頼。ヴェルサイユ宮殿の プチトリアノンをモデルとした 邸宅は1911 年に完成した。 この写真が気に入ったらコチラに一票! 目をみはるばかりの絵画の コレクション。 邸宅の台所や浴室も見所の ひとつ。 しかし、栄華をきわめたカモン ド家に暗雲が垂れ込める。 第一次世界大戦が勃発。そして 1917年、ムアーズ最愛の息子、 ニシムが戦死。 膨大なコレクションも、贅をつ くした邸宅も全ては息子である ニシムのため。 ムアーズはそのコレクションを 息子ニシムの名を冠した美術館 とし、後世に残すことにした。 そして、ムアーズは失意のうち にこの世を去る。1935年の ことだった。カモンド家の悲劇 は続く。ユダヤ人であったため ムアーズの娘ベアトリスの一家 はナチスの収容所で死亡。 カモンド家の財産を継ぐものは いなくなった。 絵画、小物、時計、調度品。 手にとるような近さで見ることが出来る。 21世紀の今でも、こうしてベルエポックの時代を 時が止まったかのように見ることが出来る。 ムアーズは、息子ニシムの死と同時に時間の流れを 止めてしまったのかもしれない。 そして、愛するコレクションと家族への想いをこの 邸宅に封じ込めてしまったのでは、なかろうか。 玉砂利を踏みしめ邸を後にする。 この素晴らしい財産を現代に残してくれたムアーズに 感謝の気持ちが自然とこみあげてくる。 63 Rue de Monceau 8区 メトロ2号線 Monceau下車 月、火曜日が休み この写真が気に入ったらコチラに一票! ご感想・撮影依頼はこちらまで
by paris-tsuzuki
| 2005-11-14 05:45
| 美術館
|
アバウト
パリ在住カメラマン都筑清 TSUZUKI Kiyoshi のファッション・グルメ・ライフスタイル情報ブログ 横浜生れ 早稲田大学法学部卒 フランスパリ写真コンクール準グランプリ受賞 '05年活動拠点を東京からパリに移す by paris-tsuzuki カレンダー
カテゴリ
全体
パリのカフェ、フード パリのマルシェ パリ・コレ パリのライフスタイル エッフェル塔 自炊 プロフィール パリの花 エッセイ 街角 恋人 子供達 美術館 散歩道 メトロ ファッション パリジャン Q&A ジャーナリズム クルマ パリの楽園 パリの犬 パリへの扉 パリの年中行事 パリの商店街 未分類 全ての写真の著作権は、都筑清に
あります。写真および文章の使用、引用は必ずお問い合わせ下さい。 とてもオープンに対応しております のでお気軽にお問い合わせ下さい。 メールBOX 撮影依頼・ご感想はこちらまで 都筑 清(旧)公式ホームページ 旧作品フォトギャラリーはこちら 比較文化論エッセイ『スペースアルク都筑清のパリ暮らしエッセイ』はコチラまで 楽しんで頂けましたら こちらに一票をお願いいたします。 以前の記事
2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||